距離感の話

距離って、不思議な概念だと思う。

一般には「時間」や「地図の縮尺」で測るはずなのに、実際のところ、自分の身体と経験がつくる“内的な物差し”が強烈に影響する。
その内的物差しが変わると、同じ70kmでも「遠い/近い」の感じ方がガラッと変わる。

片道70kmが“普通”になっていく

今、私は自宅から塾まで、片道70kmを毎週2回往復する暮らしをしている。
最初は「ちょっと遠いな」と思っていたけれど、だんだん慣れてきて、最近は“通学路”みたいな感覚になってきた。毎回、ルートを少し変えて、運転を楽しんでいる。

時間にすると車なら約2時間、バイクなら約1時間半。
本は読めないし動画も観られない。
でも逆に、考えごとをするにはちょうどいい。
「ああ、来週はこうしよう」「塾で彼にはあれをやってみてもらおう」
そんなことをぼんやり考える時間になっている。

距離の感覚というのは、結局「慣れ」と「身体の再調整」によるところが大きい。

ロードバイクで500km走れた頃

昔、1日にロードバイクで 500km近く走っていた時期 がある。
その頃は片道40kmの自転車通勤は日常で、半径50kmくらいの買い物なら「いい運動だ」と思って自転車で行っていた。半径200kmなら日帰り旅行。

けれど、考えてみれば下道500kmって、車でもなかなかハード。
でも、自転車でやれてしまうと、

「あ、意外といけるんだな」

と、基準そのものが塗り替わる。

周りからは「距離感バグってる」とよく言われた。
でも私にとっては、単に自分の基準を更新しただけの話だった。
今では、そんな距離をロードバイクで走るのは無理だけれど、基準値だけはどこかに残っていて、「100km?近いね」とついつい言ってしまう。

45歳を過ぎて始めたロードバイク。
初めて走らせたときは30kmで息が上がった。
それが、毎週、少しずつ距離を伸ばして、1年後には1日に300kmを余裕で走れるようになった。
1年間で大きく自分の距離に関する基準が変わったことになる。

基準が変わると、地平が持ち上がる

人の行動や判断は、ぜんぶ“基準”に規定される。
距離、時間、お金、努力、つらさ、できる・できないの感覚——
どれも、自分がこれまで経験してきた“最大値”や“最小値”を使って判断している。

だから、基準が低いままだと世界も低く見えるし、逆に、基準を上げると地平全体がぐっと持ち上がる。

500km走れるなら、70kmなんて「ご近所」。
70kmがご近所になると、120kmは「遠いけど現実的」。
こうして、自分の世界のサイズが自然に拡張する。

これは、身体だけじゃなくて、思考にも同じことが言える。

みんなにおすすめしたい「基準の更新」

「やれば案外できる」
「遠いと思っていたものが、近くなる」
「難しいと思っていた作業が、日常になる」

この経験は、人の可能性を広げる。
景色の見え方が変わる。

私は、この“基準を更新する”という行為を、もっと多くの人に伝えたい。

なぜなら、基準を上げるとき、人は 自分を縛っていた“無意識の限界”を破っている から。

そして、基準が変わり、見え方が変わることこそが学習だから。

ZIKUUでやっている体験教室、設備の時間貸し、塾生の学びも、すべては一つの「基準の更新」に向かっている。ZIKUUは教育施設ではなく、学習環境なのだ。

ちょっとやったらできちゃった。
失敗したけど、次はうまくいった。
40kmが遠いと思ってたのに、いつのまにか普通になった。

その小さな“更新”が積み重なると、人は想像していたよりはるかに広い世界を、当たり前のように歩き始める。

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