不便な場所は、チャンスのある場所だ

人口が数百人の山あいの集落がある。
歩いて行ける距離にコンビニはなく、ガソリンスタンドは一軒だけ。
学校も病院も少なく、若い世代は街へ出ていき、戻ってこない。
地方に行くと、そんな地域を見ることは多い。

多くの人は、こういう場所を「不便で、未来のないところ」と見なす。
行政の資料には「過疎地域」「限界集落」なんていうラベルがつく。

だけど、私は少し違う景色を見ている。

よそ者がヒーローになってはいけない

私はよそ者として、そういう土地と関わることがある。
技術的なことや仕組みづくりの面では、ある程度のことはできる。
その気になれば、「じゃあ、私が前に立って全部段取りしますよ」と言うこともできる。

でも、それをやってはいけないと、はっきり思っている。

地域おこしは、地域の人が変わらない限り、実現しない。
よそ者が派手に介入し、旗を振り、プロジェクトを回してしまうと、

  • うまくいったときは「〇〇さんがいたからできた」で終わり、
  • いなくなった途端に、何も続かなくなる。

そしてじわじわと、地元の人の心の中に、「やっぱり自分たちだけじゃ無理なんだ」という諦めが沈殿していく。

よそ者に依存すればするほど、地元の人の自信は削れていく。
だから私は、できるだけ「ヒーロー役」を引き受けないと決めている。

厳しい言い方かもしれないけれど、「今の状況はあなたたちがこれまでやってきたことの結果でしょ?」と言う。努力や責任のインバウンドは続かない、自ら変わる一歩を踏み出すべきだと。

不便さは、実は「身軽さ」でもある

山あいの集落の暮らしは、たしかに不便だ。
車がなければ日常生活が成り立たないし、ちょっとした用事で何十キロも移動することになる。

でも、それは同時に「チャンスの条件」でもある。

都市部の生活は、巨大な外部システムへの依存で成り立っている。

  • 物流が止まれば何も買えない
  • 電気やガスが止まれば生活が一気に崩れる
  • 情報も娯楽も、ほとんどが外から流れてくる

便利さと引き換えに、「考えなくていい構造」にどっぷり浸かっている。
自分たちで何かを組み立て直す余白が、ほとんどない。

一方で、山の集落は、もともと外部への依存が部分的に切れている。
コンビニも、ショッピングモールも、駅前のチェーン店もない。

「ない」ことはたしかに不便だけれど、そのぶん、暮らしを自分たちの手で組み立て直す余地が残っている。

  • 山から出た廃材を、ただ捨てるのではなく、生活の道具に変えてみる
  • 近所の人が欲しがる小さな製品を作って、地域の中で回してみる
  • ほんの少しでも、外からの「買う」に頼らない部分を増やしていく

そういう小さな実験を積み重ねるには、むしろ「不便さ」が都合がいいこともある。

よそ者の役割は「母艦」でいい

じゃあ、よそ者は何もしないほうがいいのか?
というと、そうでもない。
ずっと中にいると気が付かないこともあるから、外からの視点も必要だ。

私は、自分の立ち位置を「戦闘機」ではなく「母艦」だと思うようにしている。
どちらも戦闘のための道具だが、役割がまったく違う。

現地で動くのは、その土地に住んでいる人たちだ。
その中の誰かが、核になる決意をしてくれなければ、何も始まらない。

よそ者である私がやるのは、たとえばこんなことだ。

  • 最初の一歩と、簡単な青写真を文章にして手渡す
  • 困ったときに相談できる「避難港」として工房や拠点を開いておく
  • 技術や道具が必要なときには、全力で後ろから支える

「全部やってあげる」代わりに、「安心して前に出られるように後ろから押す」役割に徹する。

現地で核になる人には、こんなふうに伝える。

地域おこしは、あなたたちが変わらない限り実現しない。
私みたいなよそ者が目立つ形で動くのは、あまり良くない。
でも、困ったらいつでも相談してほしい。
技術で支えられるところは、いくらでも支えるから。

現地の責任と、母艦の責任ははっきり分ける。
このバランスさえ崩さなければ、よそ者が関わる意味はきちんと残る。

成功したときの称賛は現地で責任を引き受けた人が得ればいいし、母艦は成功したことを称えればいい。
成功の喜びは、現地と母艦が共有できる。

「護る」という仕事

地方再生とか地域おこしという言葉には、どこか「盛り上げる」ニュアンスがある。
イベントを打ったり、SNSでバズらせたり、観光客を増やしたり。

それも悪くはないけれど、私が心惹かれるのは、もう少し静かな仕事だ。

  • 山の手入れが続くようにすること
  • そこで育った木に、ちゃんと出口が与えられること
  • その土地で暮らす人が、自分の暮らしを誇れること

それらは派手な「盛り上げ」ではなく、長く続くための「護り」に近い。

地域の成功物語として語られるようになれば、それに惹かれた人たちが観光に訪れ、移住を決めるかもしれない。街に出た若者が、人生を終える場として戻ってくるかもしれない。
このときに盛り上げればいい。
盛り上げるのが先ではない。

不便な場所は、たしかに生きにくいが、そこは「自立の実験」がいち早くできる場所でもある。

よそ者として、私にできるのは、その実験を始めるための小さな火を一緒に灯し、風が吹いても消えないように、少し離れた場所から見守ることだけなのかもしれない。

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