最近のAI狂想曲を見ていて、微笑ましいと思うことがある。
人間らしいなと思うわけ。
人には、認知限界がある。
いくつものモノを並べて、それらを同時に見て理解するのは難しい。
大きなモニターに、表計算のスプレッドシートを画面いっぱいに表示して、あちらこちらにマクロが定義されている、みたいなものは、ほぼ人の認知限界を超える。
そういうのを見ると「本当はわかってないよね?」と思う。
多くのものを同時に認知できないから、人は、抽象化や圧縮、選択を行って、扱える範囲で見るということをやる。
ZIKUUが、データから、文脈束を抽出し、それぞれの文脈をPivotに押し込むのも、モノの見方を整理し、人とAIが抽象化・圧縮・選択した情報を見るためだ。
AIを使えば、短時間にいくつもの見方を試す、つまり、高速でPivotを回して見ることができるので、人の認知限界を超えたところを補助することができる。
AI狂想曲は、こういうパターンが多い。
単線的に高速化・大規模化が行われる。
すでに碁では、AIが人を圧倒している。
だから、近い将来、あらゆる分野でAIが人を圧倒する。
そういう物語のパターン。
AIは、チップの性能、電力、冷却、立地(データセンター建設用地)、通信など、多くの変数からその能力が導かれるから、そのどれかが制約を受ければ、スケールは遅くなる。
現実は、チップ性能も電力も冷却も立地も青天井ではない。
さらに、判断、責任、目的といった部分は、AIでは置き換えにくい人の領域だから、誰もがAIに駆逐されるとはならない。
私は、人がこれらの領域を手放したら、人類滅亡に向けて加速すると思う。
しかし、脳のコスト削減のために、人がこれらを放棄する可能性はあると思うから、人類滅亡というのは大袈裟な話ではない気がしている。
これからの時代は、判断能力、責任感、目的意識を強化するように教育を再構成する必要があるとも言える。利便や効率を追求するのもいいけど、重視すべきは判断、責任、目的だ。
ただし、分野によっては、すでにAIが人を置き換えるという現象が起きていて、誰もが安心というわけではないから、AIの進歩が人を駆逐すると不安視するのもわからなくもないけれど、碁のような閉じたルールの中でのことと、人間社会全般の中でのことは、だいぶ違う。
よくSNSには、イーロン・マスク氏の予測、グーグルの誰それさんの予想・・・みたいなものが出てくる。
そういうものの中には、単線的な成長物語が含まれることが多いし、そういう物語の方が拡散されやすい。
人はコストの高い思考より、コストの低い単純な物語への反応を優先しがちなので、単線的な物語が好まれる。
彼らの予測や予想は、ビジネスプランとして読んだ方が妥当かもしれない。
実際は、大規模言語モデル開発競争は、学習させるのも推論させるのも大規模な設備や大量の電気が必要だから、やればやるほど利益が出ないということが起きているし、そんなに高性能じゃなくてもいいから、省電力型のPCで実行できる言語モデルを使いたいという需要もある。
そういう需要があれば、小型のAIPCみたいなものも出揃ってくる。
AppleシリコンやNVIDIAのDGX SparkやRTX Spark、AMDのStrix Haloを採用した製品が、高速なGPUとCPUを1つのチップに納め、ユニファイドメモリーを採用してメモリ帯域を大きく取る、という方向だが、これは回答の一つだと思う。
いずれ、現実の壁にあがなえずに、収束する面もあるのではないかと見ている。
ちなみにZIKUUのシステムは、TDP70W程度のGPUが3枚あればすべてが滞りなく回るという設計だし、RTX Sparkのようなものが安価になれば、それを3台並べるだけで十分だ。なので、私はAI狂想曲は歌わない。
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