地方の人口減、後継者不足など、度々話題になり、地域おこし云々という話がよく出てくるが、ほとんどが効果を出せない。
総務省が公表している住民基本台帳人口移動報告を見ると、地方から東京圏への転入超過、すなわち上京する人と去る人の差は、20代の女性で57,000人を超えて、地方からの流出が多い。
年間数万人規模で若い女性たちが地方を脱出し首都圏へと流入し続けている。
東京は全国で最も物価が高く日々の生活コストが極めて過酷な都市だ。
手取り20万円前後の給与から家賃として80,000円や90,000円が容赦なく消えていく。
地方であれば一軒屋が借りられるような金額を払っても手に入るのは6畳のワンルーム。
さらに東京都の合計特殊出生率は0.96と全国で圧倒的最低を記録しており、結婚して家庭を築き子供を育てる環境としては日本で最も厳しい土地でもある。
若い女性が浅はかなのではない
流行やファッションへの憧れ、東京の華やかさに目がくらんだ若者たちが、薄っぺらな欲望というだけで、生活コストが高く住環境が悪い、身よりのない孤独な都市へ身を投じるという人生の不可逆な選択を説明することは難しい。
若い女性たちは、なぜ過酷で孤独な都市へと吸い寄せられるように集まり続けるのか。
単なる若者の都会志向や個人の自己責任という言葉で片付けて良いのか。
多くの地方都市において十分な給与と雇用規模を誇る優良な職場は製造業の工場、建設業や土木インフラ企業、農林水産業そして地方自治体の職員に限られている。それ以外の産業はほぼない。人材が少ないのだ。
地方に残る女性たちに提供される雇用は何か。
地元企業の一般事務、飲食や非正規雇用、あるいは深刻な人手不足に会えぐ医療や介護の現場。
そこに女性たちが、将来のキャリアパス、家庭、住宅などのイメージを抱けるのか。
社会は男女の平等、雇用機会の均等、女性の社会進出と煽り立てたが、その方向性を満たせる場所は東京しかない。
東京の罠
一方で、東京には罠がある。
村人の監視の目がない、何をしてもどんな服装でも、誰も奇異の目で見ない。
自由に振る舞える。
何でもできる、チャンスもたくさんある。
そう感じるのが都会だ。
私は、頑張れば何者かになれる。
そう思ってしまう。
ところが、東京というオプションを維持するためのコストは異常なまでに高い。
地方を出て自立したはずの彼女たちを待ち受けているのは、世界有数の過密都市が突きつける猛烈な生活費の請求だ。
毎月口座から引き落とされる高額な家賃。
満員電車の暴力的な揺れの中で削り取られる精神のエネルギー。
自立を維持するために長時間労働に終われ週末は疲労を癒やすだけで終わっていく。
高い給与を得ていても生活水準を維持するだけで手元にはほとんど残らない。
何者にもなれる自由を手に入れたはずが、気がつけばその自由を維持するためだけに都市という巨大な機会の中で必死に足を踏み鳴らし続けなければならない現実だ。
結果的に、東京オプションを維持するのが精一杯。
田舎に戻ってくるのは、「何者かになれなかった者」ばかりになる。
基準値
地方に暮らしていれば、人間が豊かさや普通の幸せを図るためのもの差しは極めてつつましやかなものだ。
地元の企業に勤め、軽自動車に乗り、終末には郊外のショッピングモールへ出かける。
同世代の平均的な年収があれば十分に1人前として認められ、穏やかな家庭を築くイメージを描くことができる。
ところが東京では、視界に入る全ての風景を通じて、人間の普通の基準を強制的に書き換えてしまう。
街を生き交う洗練された人々、臨立する高層タワーマンション、SNSを埋めつくす都心の華やかな食卓。
それらを日常の背景として浴び続けるうちに脳内の基準値が跳ね上がっていく。
さらに東京では地方の共同体がかつて担保してくれていた信用の保証が完全に失われている。
地方であれば誰それの紹介だから安心だ、家族ぐるみの付き合いがある、という共同体の目配りによって相手の誠実さが担保されていた。
しかし匿名社会というべき東京では、相手が本当に信頼に至る人物なのか、嘘や打算がないのかをすべて自分で検証しなければならない。
騙されたくない、傷つきたくないという自己防衛の本能が、相手に対する警戒心と要求スペックをさらに引き上げていく。
その結果として起きるのが恋愛婚活市場における普通の基準の暴走だ。
年収はせめて同世代の平均以上の600万円。
清潔感があって、家事育児にも協力的で、価値観を理解してくれる人。
これは決して高望みをしているつもりはない。
ただ人並みに安心できる普通の人を探しているだけだ。
だがその普通の複合条件を満たす未婚男性は統計上東京の独身男性の中でも上位数パーセントに過ぎない。
優秀で自立心が高く美意識の高い若い女性たちが東京へ集中し、東京の婚活市場では異変が起きている。
自立して働き、知性も教養もある女性たちが過密状態になっている一方で、彼女たちが望む家事育児を分担でき、東京の高額な生活費を共に支えられる経済力と価値観を持った未婚男性の数は極めて限られている
同世代の女性同士による過酷な椅子取りゲームが繰り広げられる。
マッチングアプリを開けば指先一つで無数のプロフィールが表示され、いつでも新しい出会いがあるように錯覚するが、もっといい人が、もっと安心できる相手がと思っているうちに、時間という資産だけが容赦なく目減りし、選択可能性そのものが失われていく。
自由を求めて辿り着いたはずの市場で、無限の選択肢そのものが、もっとも深い孤独へ沈めていく。
今頃気づいても遅いという事態になる。
それぞれが合理的に判断している
構成員の一人一人が正しい合理的な行動をとった結果、それらが積み重なった全体として、最悪の破滅的な結末が生み出されてしまう現象。
それが合成の誤謬だ。
一見すると豊かで安全な楽園に見える場所に、多くの人が引き寄せられていく。
しかしそこは過密によるストレスや人間関係を育てる場所の不足、極端なコストの高さゆえに資産を残すことができない構造になっている。
結果としてその魅力的な場所は次世代へのソース供給源ではなく、周辺の地域から生命を吸い上げては消費し尽くす排水溝のように機能してしまう。
自立、自由、キャリア、夢を求めて向かった東京は、多くの若い女性にとっての排水溝。
地方は女性が減少して子供が生まれない。
東京でも女性が家庭を持てずに子供が生まれない。
後継者が育たず、供給力が落ち、再生産ができない。
「合理的」を再考してはどうだろうか。
無策だった地方と大人の責任
学校を卒業したばかりの若者に、自立とは本来こういうものだ、責任とはこういうものだ、社会はこういうものだを理解しろというのは酷だ。経験が足りない。
だからその地域の大人たちが、安全策を講じておくべきだった。
だが、やらなかった。
女性の社会進出、男女雇用機会均等、自由や自立。
そう煽るだけで、準備をしてこなかった。
暮らしの構造が「生活に必要なものをほぼ貨幣で買う」になり、教育の構造が「学校から会社へ送り出す」になり、産業の構造が「企業に雇用されて給与を得る」になっている。この三つはつながっている。
女性が東京に向かうのも、このような構造が下にある。
すると地方では、企業と学校と商業サービスの密度が低いから、単純に都会より条件の悪い場所に見える。
だから「企業誘致」「賃上げ」「婚活」「移住補助」「子育て支援」と、一つずつ穴を塞いでも、基本構造が同じなら、都会との規模の競争で、地方は不利だ。
「田舎の魅力」や「都会の怖さ」など、いくら言っても、若い女性たちは聞く耳を持たない。
「子育て支援」も「保育支援」も、効果が出ない。
逆に、
自分で作れるものが増える。
複数の小さな仕事を持てる。
住居を自分で直せる。
地域内で技能を交換できる。
若者が失敗しながら能力を獲得できる。
知識や経験が地域に蓄積される。
となると、暮らし・教育・産業を同時に少しずつ変えていける。
若者にやらせるというのではなく、気づいた人から取り組んではどうだろうか。
教育や価値観が変わるのには時間が必要だ。
気づいた人は、早くやってはどうか?
ZIKUUが、工房とAIを使ったコアサービスが両方必要だとしているのは、必然だと思っている。
工房は地域の物理的な供給能力を増やし、コアサービスは知的な供給能力を蓄積する。
そういう能力を身につけるための練習場として機能できるように設計している。
安全に失敗できる場所。
練習に付き合う熟練者や仲間。
それがある。
私は非力は認めながらも、臨戦態勢を取っているが、たぶんダメだろうとも思っている。
そんなに遠くない将来、ZIKUUがある地域も含めて、多くの自治体が消滅してもおかしくない。
ZIKUUがある山梨県上野原市は、私が用地を取得した3年ほど前の人口は22000人を超えていたが、今では20500人を割り込んでいる。時々、市が公表している人口動静を見るのだが、毎月着実に人が減っている。毎日のように熊の目撃情報があり、隣町では頻繁に水道が止まる。ホームセンターの品揃えも悪い。山だらけなのに製材所が稼働していない。コンビニとドラッグストア以外のフランチャイズ店はない。かと言って商店街が栄えている風でもない。
住めば都なのかもしれないが、そもそも住みたいと思える人が少ないんだと思う。