ZIKUUのシステムが向かう先は文化

以前「文化の香り」というエッセイを書いた。

そこにはこう書いている。

常々思うことがある。

高価な物をたくさん持つ人たち。
会話をするたびに、「いくらかかった?」と聞いてくる。
会話のほとんどが「いくら」に関するもの。

今日、たまたまスポーツ評論家のYouTubeを観た。
スペインのスポーツ紙で大谷翔平の特集が組まれたという。
野球が紙面を飾るのは珍しいらしい。
けれど、その動画の内容は金の話ばかりだった。
年俸、スポンサー料、経済効果――。

金に価値を見出すこと自体は悪くない。
ただ、金に執着した瞬間に、そこから文化は生まれなくなる。
文化とは、利得の先にある「余白」や「思慮」から生まれるものだし、生き方や在り方に宿るものだと思っている。
手をかける過程にこそ、温度や香りが宿る。
数字で測れるものだけを追い始めた社会は、やがて“香りのしない”社会になる。

塾生には、刃物研ぎの練習を勧めている。
単純だけれど正確な手の動きが、加工の精度を決める。
それが理由だ。
そういう技を身につけた上で機械を使う方が、結果としてはるかに良い仕事になる。

けれど、多くの場合、早く結果を出したがる。
すぐに形になることを喜び、過程の中で身につくものを軽く見てしまう。
金を追うのと同じだ。
目的だけを見て、過程を飛ばす。
そこに文化は育たない。

やるからには、高いところを目指してほしい。
それは結果の高さではなく、手と心の質の高さだ。
丁寧に研ぎ、時間をかけ、ようやくひとつの線が通ったとき、そこに初めて“文化の香り”が生まれる。

ZIKUUでは、その香りを残したいと思っている。
金で速く手に入るものより、手を動かし、時間をかけて確かめるものを大切にしたい。
それが、文化をつなぐということだと思う。

――文化の香りがしないよ。
この一言で、気づく人が少しでも増えてくれたらいい。

今、データをPivotサービスに入れるために、Context Pipeline Serverというものを設計している。
これはデータから文脈の束を抽出し、各文脈をPivotの投入できる形式に構造化するサーバーだ。

世の中には様々な計算機の使い方があるけれど、私はContext Driven Computingという概念を考えついた。

上のエッセイで言っている「文化の香り」というは、単に美的な表現としてではなく、

文化の香り=結果だけでなく、過程・手間・判断・時間・姿勢・思慮が残っている状態

のことだ。

逆に、

文化の香りのしない社会=金額、成果、効率、速度、目に見える所有物、すぐ形になるもの

だけで価値を図る状態のこと。

Context Pipeline Serverは、文章から文脈束を取り出してデータベース化する。

刃物を研ぐ

なぜ研ぐのか

どういう手の動きが必要か

どこで失敗するか

なぜ機械を使う前に手を知る必要があるか

それが次の人に渡る

文化の香りが消えないうちに、過程や理由を残す装置であると言ってもいい。

この文脈束からPivotサービスに投入するファクトを抽出する。

例えば、上のエッセイなら、Fact候補を抜き出すと次のようになるかもしれない。(AIを使用して抽出したFact候補)

  1. 高価な物を多く持つ人ほど、会話が金額中心になることがある。
  2. 金に価値を見出すこと自体は悪ではない。
  3. 金に執着すると、文化は生まれにくくなる。
  4. 文化は利得の先にある余白や思慮から生まれる。
  5. 文化は生き方や在り方に宿る。
  6. 手をかける過程に温度や香りが宿る。
  7. 数字で測れるものだけを追う社会は、香りのしない社会になる。
  8. 刃物研ぎは、正確な手の動きと加工精度につながる。
  9. 技を身につけた上で機械を使う方が良い仕事になる。
  10. 多くの人は早く結果を出したがり、過程で身につくものを軽く見る。
  11. 目的だけを見て過程を飛ばすと、文化は育たない。
  12. 高いところを目指すとは、結果の高さではなく、手と心の質の高さである。
  13. ZIKUUでは、手を動かし、時間をかけて確かめるものを大切にしたい。
  14. それが文化をつなぐことだと考えている。

これをAI塾長が応答に使うことになる。

例えば、塾生が「CNCで早く削ればいいじゃないですか」と言ったとき、AI塾長はこの文脈束を根拠にして、

ZIKUUでは、機械を否定しているわけではありません。
ただ、手の動きや刃物の感覚を知らないまま機械に乗ると、結果だけを急ぐことになります。
そこには文化の香りが残りにくい。

と言える。

ZIKUUでの判断基準や考え方や過程をAIがなぞる。
精神論を真似ているのではなくFact=事実をもとにして、コミュニティーの判断や記憶を再生する。

これが次に繋がれば文化になる。

当初から、私がいなくなっても続くようにと考えてAI塾長を構想したわけだが、「続くというのはどういうことか」を何度も考えて辿り着いたのがこれ。
AIはシステムの中心に配置されるのではなく、文脈束、Pivot、ベクターデータベースなどの思考環境が中心で、AIはその後段の案内役として配置されるのがZIKUUのシステムということになる。

冒頭のスクリーンショットは、ZIKUUの小説を読ませてFact候補を抽出したもの。

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